人工腎臓(血液透析)の歴史
透析の歴史から,19世紀中ごろまでに透析療法の基礎的な考え方は存在していた。腎臓が持つ血液中の老廃物や毒素,電解質といったものを体外へ排出する機能を代替する人工腎臓が初めて医学史上に登場したのは1913年のAbel氏等がJohns-Hopkins大学で動物を用いた血液透析を成功した頃から。
1913年 | Abel氏ら | 血液の体外循環による透析の可能性を動物実験より実証する。 コロジオン(ニトロセルロース)膜を用いた。 |
1914年 | 【第一次世界大戦が起こる】 急速に血液透析に関する研究が高まる。 | |
1925年 | Howell氏ら | 抗凝固剤ヘパリンを発見。体外循環の完全な事件を可能にする。 |
1928年 | Ganter氏ら | 生体膜を用いる透析に患者自身の腹膜を利用した。今日の腹膜灌流の基礎を開く。 |
1930年 | ソーセージ用に開発されたセロファン・チューブを透析膜に使用できるようになる。 | |
1938年 | Thalhime氏ら | 透析膜にセロファン膜を利用,透析効率の飛躍的向上と操作の簡便化をみる。 |
1940年代 | 1930~1940年代において,研究実験から臨床応用にもヘパリンを用いられるようになり,現在まで至る。 | |
1943年 | Alwall氏 | Rot&tingdram型(回転ドラム型)人工腎臓を用いて史上初の臨床応用に成功する。 |
1945年 | Kolff氏 | 胆嚢炎で急性腎不全にかかった67歳の女性を透析し,世界で初めて急性腎不全者を救命することに成功。 |
1947年 | Kolff氏ら | coil型の人工腎で治療に成功(1950年代には使い捨てのtwin coil kidneyを開発) |
1948年 | Skeggs氏ら | 積層型(平板型ダイアライザ)の透析装置を考案し,後のKill型人工腎臓の基礎を作る。 |
1950年 | 【朝鮮戦争】 米軍はクラッシュシンドローム(挫滅症候群)を引き起こした戦傷者の治療に透析を用い,死亡率を第2次世界大戦時には95%から50%にまで低下させる。 |
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1956年 | Kolff氏ら | 回転ドラム式から使い捨てtwin coil kidneyを開発 |
稲生氏ら | 急性腎不全患者に対して透析療法を実施し,救命に成功 | |
1960年 | Kill Seribner氏ら |
Skeggs氏の積層型透析装置を改良し,Kill型人工腎臓を完成する。体外循環用にテフロン製の動静脈用短絡装置Cannlaを考案し,頻回の透析を可能にし慢性腎不全の適応に包含せしめた。(外シャントを開発) |
QuintonおよびScribner等 | 留置動静脈短絡カニューレを初めて臨床応用する。 | |
1962年 | Seribner氏ら | PermanentShuntにSilastictubeを導入し,Shunt事故を激減させる。 |
1966年 | Lips・Stewart氏 | 中空糸10,000~15,000本束ねたホローファイバー型ダイアライザの開発。 |
同年 | Brescia氏ら | arterio-renous fistulaを完成し内シャント法を開発。 |
※第二次世界大戦は1939年~1945年の6年間
日本では,1954年に人工腎臓開発が行われ始めた。
1913年のAbel氏の成功を機に,アメリカやヨーロッパ各地において急速に血液透析に関する研究が高まり,1914年に起きた第一次世界大戦がこの研究に拍車がかかった。
揶揄として「戦争が起こると医療が進歩する」という言葉があるように,戦争が起こると多くの負傷者がでて,クラッシュ・シンドロームとも呼ばれる筋組織が損傷を受ける症状がよくみられ,第一次世界大戦では,この症状に罹る兵士が多くでたことで透析療法を大きく前進させた。また第二次世界大戦中においてもオランダでは,1945年にKolf氏が胆嚢炎で急性腎不全の女性を透析し,世界で初めて急性腎不全患者を救命したという報告がある。